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あのピアノの正体は、、、山鹿に残る最後の一台だった!

12月23日、山鹿市立博物館に於いて

木村ピアノ 贈呈式

Img_0378

が開かれました。

木村ピアノといえば・・・・??そう、1ヶ月半ほど前に工房で預かり修理をした『ミニピアノ』のこと。

おやおや、随分な大事になって、とお思いでしょう。・・・当の私も驚いています。

話を整理すると、

大正13年、山鹿市内。

木工所を営んでいた木村末雄さん、正雄さん兄弟が、近所の方が購入したスタインウェイのアップライトピアノ(当時の値段が1600円)を手本にして、「おれ達も作ろうぜ!」とピアノを作りました。

その数、10数台。

そのうち現存確認されている唯一1台が所有者の「文化財として保存してほしい」という願いから今回修理で預かったピアノだった・・・というなんともロマン溢れる話。

Img_0357_2 Img_0355

贈呈式には、木村末雄さんの長女・長男さんも来熊され、再び楽器としての性能・ピアノの音色を取り戻した『父の生き様』とのひと時を楽しんでいらっしゃいました。

式典では、山鹿市長の挨拶はじめ、RKK(熊本放送)で20年前に放送された木村ピアノのルーツを探る旅の再放送、合唱によるクリスマスミニコンサートなどがありました。

ルーツを探る旅の再放送については、製作者の木村兄弟の心意気と情熱に胸打たれ、山鹿市内で最初に見つかった木村ピアノの果てた姿(保育園→幼稚園→骨董品店と流れ流れて、最後の行き場所はどこぞやの体育館の裏、しかも野ざらし)に時の流れを無情に思い、片や戦争を免れ、大事に大事に使用されたピアノ(今回寄贈されたピアノ)と、木村さん長女の涙の再会に、涙する・・・

と、本当にピアノの背景と時代を感じることのできる大事な資料を見ることができました。

さて、今回私のお目当ては、なんといってもコレ・・・

Img_0365

BOSSのスピーチ。

すごーく緊張されていた様子で、式典中に何度も外へ出られ、私もちょっぴり心配しましたが、いざ始まると、内容もバッチリ!

私の前に座ってらっしゃった女性はウムウムホホ―、と大きく頷いてらしたので、それを伝えると満足げな様子でした。

今回、文化財に値するピアノの修復という意味ある仕事に携わることができたこと、また木村さんの“大正”の情熱とロマンを“昭和”を経て“平成”に繋げることができたこと、、、

最後に参加者皆で木村さんの長女さん伴奏の「ふるさと」を合唱しながら、つくづく「ありがたや~」と思ったpianoharpだったのでした。

ちなみに、今後「木村ピアノ」は山鹿市立博物館にて展示され館内コンサート等で活躍する予定だそうです。

補足:木村ピアノの外装の傷の多さは、当時珍しかったピアノは貸し出しが多く、その際にリアカーに乗せて移動させていた時についたものだそうです。・・・時代を感じる古傷ですね!

Img_0391

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コメント

おひさです♪
ニュースで見ましたよー!!(何故かRKKが映る佐賀の実家。笑)

すごいなぁ☆ロマン溢れるお仕事…羨ましい!!
私もロマンを胸に、調律頑張ろう(*^_^*)

初めまして!
NHKみんなのうた、で「山鹿のピアノ」と言う歌が流れていて。
気になって調べたら、ここへ辿り着きました。

まさに、実話に基づいた歌だったのですね!


歴史を感じるピアノ、そして、それを直されるお仕事。
色々とスゴイ‼︎
これからも、頑張って下さいね!

なっつんさん、はじめまして☆
コメントありがとうございます(^ν^)
NHKのみんなのうた、から弊社ブログにたどり着いていただけて嬉しいです!

まさかこの修理をしている時はこんな日がくるだなんて思っていませんでした。
歴史あるピアノの仕事に携われたことに感謝です☆

初めまして。
みんなのうたの山鹿のピアノを聴いて、ここに辿り着きました。
木村兄弟の熱い情熱とピアノのルーツ、思いがけずとはいえ修理された事による数々のお話しに感動しました。
いつか、野ざらしで見つかり果てた姿の木村ピアノが、綺麗で温かな旋律を再び響かせてくれる事を願っています。
歴史資料として展示される事よりもきっと素敵で木村兄弟さんもそれを望まれているでしょうから。
素敵なお話しありがとうございました。お疲れさまでした。これからもお仕事頑張ってください。

たあさん、はじめまして☆
コメントありがとうございます!気づくのが遅く、お返事今になってしまいました。

確かに。楽器は奏でられてこそ楽器ですものね。山鹿の方たちは当時、ピアノの音色にどう心動かされていたことでしょう。色々思いを馳せると胸がジンとします。

今後も一台一台のピアノに向き合って仕事に精進したいと思います。

さっき、NHKで「山鹿のピアノ」を聞いて、ここにたどり着きました。

おじいちゃんが戦争に向かった朝に
ポロロンポロロンポロロン
仕舞われたピアノ
ポロロンポロロンポロロンロンロンロン
悲しい時代は震えてた

とてもいいメロディー好きな歌のひとつになりましたが、本当に戦争で仕舞われたのでしょうか?
戦争は大嫌い!でも、辛い時代も楽しい時代も敵も味方もピアノを愛して弾いていたのでは?
この時代、国威高揚のためにもっと使われていてもおかしくないのにと思いました。
歌の哀愁感を引き立てるために、戦争というテーマが使われていたらいやだなぁと感じました。山鹿のピアノが可愛そう。
どんな国でもどんな人でもピアノ好きな人っているはずです。事実なら理由が知りたいし、フィクションなら山鹿のピアノがこの歌を通じて、違う方向の象徴になりかねないと思いました。大げさですが、気になりました。
別にこのピアノが国民学校で軍歌弾いたとしても、山鹿のピアノはみんなの大事な愛されたピアノです。悲しい時代だからこそピアノで元気良く歌っていた人たちが居たと思います。おじいちゃんもあの当時は内地の家族を守りたかったんじゃないかな。だったら、戦争に行くおじいちゃんを元気付けてあげたら良かったのにと思いました。とにかく、真実分かる方おられますか?

これ言うの忘れてました!
どうぞ、これからも伝統やピアノを作られた方の遺志を継ぐ立派なお仕事応援しております。私は長年海外で暮らすものです。日本の職人さんの技術は我々日本人の誇りです。
山鹿のピアノもこれを修復する人も、どんな人が弾こうと聞こうと綺麗な音色は綺麗な音色だと思います。ひと時でも安らげる旋律がいつの世にもありますように!

しつこくてすみません。
山鹿って戦時中は疎開地だったとネットではいろいろ紹介されています。
こんなページも見ましたが・・・
http://airport1111.blog.so-net.ne.jp/yamaga-airstrip
やっぱり、山鹿のピアノと戦争関係なさそうな気がします・・・・

偶然「みんなの歌」を見て思わずググりました。
素晴らしいお仕事なさったんですね。
スタンウェイを手本にしたとはいえ
演奏可能なピアノを作ってしまったっていうのが
すごいですね。調律とかどうしたんだろうとか
細かいことはさておいて、
また、ボロボロになっていたピアノを
再び演奏可能にまで修復されたご苦労に敬服します。

たくさん、コメントありがとうございます☆お返事かなり遅くなり申し訳ありません(u_u)

山鹿のピアノは、本当に戦争で仕舞われたのか?という疑問には残念ながら事実が解らないためお答えすることはできません。
しかし、当時は木村ピアノは十数台作製されたそうで、今回我々が修理したピアノは屋内で大事に保管されていたもの。他の十数台のピアノはまた違った道を歩んで果てていったのだと思います。

考えれば考えるほど、今回のモデルになったピアノ、大事にして後世につないでいって欲しいなと思います。

Rukaさん、コメントありがとうございます☆これまたお返事がかなり遅れてしまい申し訳ありません。。。

ピアノメーカー、ヤマハの国産第1号のアップライト製造は1900年です。創始者の山葉寅楠さんだってアメリカに勉強に行ってのことなのに、まさか山鹿で兄弟がピアノを作った!というのは本当にすごいことですね。

使用可能にまで修理できたのは、元々の作りと、部品がシッカリしていたからだと思います。

是非山鹿市立博物館で一見されてみてください☆

タイのパタヤからお邪魔しています。
こちらで、NHKの国際放送で、みんなの歌を聴き
こちらにたどり着きました。
夏に、日本に一時帰国し折、九州旅行し、
その魅力に圧倒され、また来年も、と思っておりました。
その時には、博物館、是非、伺いたいと思います。
ありがとうございました。

LUCYさん、コメントありがとうございます☆

パタヤからのコメント嬉しいです!
九州には本当に良いところが沢山あります。私の住んでいる熊本だけでも海の天草・山の阿蘇、各所に温泉もあり、周りきれないほどです。

次回帰国された際には、是非山鹿のピアノを見られて、旅を満喫されてください(^ν^)

私、木村政雄とは直接血のつながりは有りませんが
長男の嫁として6年程生活を共に致しました。

舅は寡黙な人でしたがとても優しくして頂きました。

77歳で脳血栓で他界致しました。

この旅偶然みんなの歌でピアノを知り
主人と私達の娘と孫二人が山鹿の博物館に行きました。

そこで館長さんともお会いはし政雄、末雄の写真を
ピアノの上に飾って頂き、
孫はピアノを弾かせてもらいました。

博物館の館長さんスタッフの方々
ピアノを大切に保存して下さった旧家のお家の方々
そして歌にして下さった方々に深く深く感謝申し上げます。

皆様にいつまでも愛して頂けますように・・・
心よりお祈り申し上げます

木村さま

コメントありがとうございます!お返事大変遅くなり申し訳ありません。
木村さんのご関係の方からコメントをいただけるとは思いがけず驚いております。

写真でしか拝見できなかった木村さんご兄弟の貴重なお話、ありがとうございます。
思いの詰まったピアノを修理することができて光栄です。

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